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木曽義仲(きそよしなか)公

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 幼名「駒王丸」。父は源義賢で、源氏の棟梁であった源為義の次男。母は当時の埼玉・東京・神奈川の一部を含む武蔵国で都にいる国司に代わって統治する立場であった秩父氏の娘、小枝御前。駒王丸が2歳の時、源頼朝の兄、悪源太義平によって父親が住んでいた大蔵の館が焼き討ちにあい、駒王丸は母親とともに木曽の地(現在の長野県木曽郡木曽町)に逃げます。木曽で育った義仲は、平氏討伐の命令が出された際、木曽で旗揚げし、長野から新潟・北陸と軍を進めて源氏の中では最初に京に入りました。この時の進軍では、富山県小矢部市にて自軍の二倍にも及ぶ平家軍を数百頭の牛に松明を付けて追い込み、一網打尽にした倶梨伽羅峠の戦いなどがあります。目覚しい活躍を見せた義仲は、都入りした際、後白河法皇から朝日将軍と讃えられ、後に官位を授かり征夷大将軍に任命されます。しかし、法皇の謀いにより、頼朝軍に追われることとなり、粟津ヶ原(現在の滋賀県大津市)にて31歳の若さで亡くなりました。

 
鎌形八幡神社の境内にある、義仲誕生の際に産湯にしたとされる清水の写真

伝木曽義仲産湯の清水
(義仲誕生の際に産湯を沸かしたとされる清水の一つといわれています。)

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