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大蔵館跡(大蔵神社) 県指定史跡

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 仁平3年(1153)に木曽義仲の父・源義賢が秩父重隆の娘をめとり、移り住んだ館跡とされます。義賢は、源氏の棟梁、源為義の次男として生まれ、近衛天皇が皇太子のときに東宮警護の長官である帯刀先生を務めました。しかし、部下の不始末によって職を追われ、北陸から上野(群馬県)とまわり武蔵(埼玉県)へと来ました。当時武蔵国内で大きな力を持っていた秩父氏と義賢が結んだことによって、関東で義賢の力が増大することを恐れた兄義朝は、自分の息子、義平に館を攻め込ませて義賢を討つという大蔵合戦がありました。このとき駒王丸(後の木曽義仲)は木曽の地へと逃れています。

 東西220m、南北170mの範囲が館跡となっています。周囲を堀と土塁で覆われていますが、このような現在の姿は戦国時代のもので、義賢がいた時代のものではないことが発掘調査によってわかっています。近年の発掘調査では、堀で囲われた一辺70mほどの小館がみつかり、中からは建物や柵が検出されるなど、現在の姿になる前の状況がわかってきました。

大蔵館跡(大蔵神社)の写真

大蔵館跡(大蔵神社)

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