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嵐山渓谷

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嵐山渓谷(らんざんけいこく)

嵐山渓谷とは

嵐山渓谷1

埼玉県を代表する景勝地のひとつ『武蔵嵐山渓谷(むさしらんざんけいこく)』は、岩畳と槻川の清流・周囲の木々が織り成すみごとな景観と豊かな自然環境をもった、嵐山町の宝です。
槻川は、外秩父山地の堂平山中にある自然林に端を発し、東秩父の山間を抜け、小川町を経て嵐山町の遠山地区に流れ込みます。ここで岩場によって流路を狭められ、都幾川と合流する二瀬の手前までが渓谷となっています。また大平山から伸びた細原と呼ばれる部分では、流路が大きく180度転じて半島状の独特な地形をつくりだしています。

地名の由来(京都の嵐山を思わせる景色)

武蔵嵐山渓谷は、その地形的な特徴から、秩父の長瀞岩畳に例えて「武蔵長瀞」と呼ばれていたこともあるようです。現在使われている「武蔵嵐山」は、昭和3年に当地を訪れた本多静六林学博士により名付けられたものです。本多博士は渓谷の最下流部にある槻川橋より、渓谷と周囲の赤松林の美しい景観を眺め、その様子が京都の「嵐山(あらしやま)」に大変よく似ているということで、「武蔵国の嵐山」という意味で命名されたということです。この地名は後に、当町の町名にも採用され「嵐山町(らんざんまち)」となりました。渓谷の半島部分にはそのことを記念する「嵐山町名発祥之地」が建立されています。
ちなみに当時の槻川橋は、いまよりもずっと低い位置に渡されていたようで、現在の橋のすぐ下に昔の橋桁の跡が残っています。ですから、この位置から上流部を見れば、本多博士を感動させた景観が今でも見られるかもしれません。

槻川橋から見た武蔵嵐山渓谷の風景写真

                           槻川橋から見た武蔵嵐山渓谷

嵐山町名発祥之地の碑の写真

                           嵐山町名発祥之地の碑

渓谷の自然

◎地質

渓谷を形作っている地形の大部分は、結晶片岩という、薄くはがれやすい岩石で出来ています。そのうち最も多く見られる緑泥石片岩(りょくでいせきへんがん)は、地元では青石(あおいし)とも呼ばれるやや緑色がかった岩石で、板状に剥離して平らな形状となりやすいことから石碑や墓石などに多く利用されています。嵐山町周辺において多数が確認されている中世期の板石塔婆も、ほとんどがこの緑泥石片岩を加工してつくられたものです。武蔵嵐山渓谷の上流にあたる小川町の下里地区では、昔から良質の緑泥石片岩が得られることで知られ、下里石(しもざといし)の名前で親しまれています。
また、紅れん石片岩(こうれんせきへんがん)という赤味がかった岩石も、場所によっては地表部に出ている箇所があります。この岩石は埼玉県の長瀞より最初に発見されたもので、地質学において埼玉県を世界的に有名にしました。
渓流の岩畳には、所々岩の表面に丸い穴が空いているのを目にします。これは甌穴(おうけつ)、またはポットホールと呼ばれ、水流と小さな石の回転によって岩の表面にできたくぼみです。数センチメートル程度の小さな穴がほとんどですが、時には数メートルにも発達し、武蔵嵐山渓谷の中には人が入れるほどのものもあります。

渓谷で見られる結晶片岩の岩畳。

渓谷で見られる結晶片岩の岩畳

変化に飛んだ地形、豊富な水、豊かな植物となれば、当然、鳥や昆虫などのたくさんの動物も見られます。武蔵嵐山渓谷には、町内ではここでしか見られないヤマセミが生息しており、水面を軽やかに飛んでゆく姿を見ることが出来ます。ただし、警戒心が強く、人目に触れることはほとんどありません。また、冬にはオシドリがつがいでやって来ることもあります。周辺の森にはキツツキ類も多く、コゲラやアオゲラといったキツツキが音をたてて木の幹をつついています。上空には付近の山から飛んでくるオオタカが見られることもあります。
は虫類ではタカチホヘビやジムグリなど地中を好むヘビが、両生類では早春の水溜りにトウキョウサンショウウオの卵塊が多いほか、河川にはカジカガエルも多く、夜になると美しい鳴き声が渓谷に響きます。魚類ではかつてカジカやアユが見られましたが、今ではほとんど目にすることがなくなりました。
昆虫類ではトンボの仲間がとくに多く、清流にすむアオサナエやホンサナエ、アオハダトンボ周囲の林内に見られるカトリヤンマなどめずらしい種類も多いようです。アメンボの仲間では日本最大級のオオアメンボが多く見られ、甲虫類(カブト虫の仲間)ではハセガワセスジダルマガムシ、ナカネセスジダルマガムシやマスダチビヒラタドロムシなど、埼玉県から初めて見つかった種類も多く生息しており、ゲンジボタルやオオイチモンジシマゲンゴロウも確認されています。蝶の仲間ではオオムラサキをはじめ、ミヤマカラスアゲハやアオバセセリ、メスグロヒョウモンなどが生息し、過去にはツマグロキチョウの記録もあります。ほかにもセンブリの一種や昆虫ではありませんがナミウズムシ(通称プラナリア)という生物も見られます。ナミウズムシはとてもきれいな水にしか生息できない水生動物です。武蔵嵐山渓谷の水がきれいな証拠といえるでしょう。

遠山の甌穴。

遠山の甌穴

◎植物

自然が豊かな武蔵嵐山渓谷にはさまざまな植物が見られます。なかでも特に目立つのは、春先に白い房状の花を咲かせるユキヤナギです。また、梅雨の頃にはヒメウツギなどのウツギ類が白い花を咲かせます。大きな樹木ではケヤキが多く見られます。槻川の「槻」はケヤキの意味で、まさに槻川の流れにマッチした樹木です。紅葉の時期にはモミジやヤマザクラと共に見事な色を見せてくれます。かつてはアカマツも多く見られましたが、松枯れにより大きな樹はほとんどが無くなってしまいました。
細原の付け根付近に広がる草地には、ススキなどの根元にナンバンギセルという寄生性の植物が見られます。また、春にはワラビなど山菜類も多く見られます。また大平山の南斜面にはヤマツツジも多く、春には登山者の目を楽しませます。

大平山南傾斜面に咲くヤマツツジの画像

                         大平山南傾斜面に咲くヤマツツジ

◎動物

アオサナエの画像

                              アオサナエ

マスダチビヒラタドロムシの画像

                           マスダチビヒラタドロムシ

武蔵嵐山の歴史

昭和のはじめに本多博士によって名付けられた「武蔵嵐山」。この時代は観光地としてたいへん賑わい、渓谷周辺には料理旅館の「松月楼」もあって、埼玉を代表する景勝地をひとめ見ようと、多くの人々が訪れていました。東武東上線の菅谷駅も昭和11年には「武蔵嵐山駅」に改名され、駅から観光客の長い列ができたほどです。このような時代背景の中で、昭和14年6月に、当地をひとりの女性歌人が訪れます。現代短歌の道を開いた代表歌人の与謝野晶子です。当時61歳であった彼女は娘の藤子さんと共に松月楼を訪れ、渓谷の自然などをテーマに「比企の渓」29首を歌いあげました。平成10年には藤子さんのご協力をいただき、細原の先端部に与謝野晶子の歌碑が建立されました。碑の表面には比企の渓26首目の歌として「槻の川 赤柄の傘をさす松の 立ち竝びたる 山のしののめ」という歌が彫られており、裏面には歌碑建立の由来が示されています。
たいへん賑わった「武蔵嵐山」ですが、戦後は松月楼も本格的に営業されず、経営者が変わって「一平荘」と改名されましたが、ついに閉店してしまいます。しかし、時代と共に景勝地を訪れる人々はまた増えてきました。休日ともなれば、槻川橋下の嵐山渓谷バーベキュー場(別ウインドウで開く)にはたくさんの人が訪れます。駐車場にひしめく車の姿は、かつて菅谷駅から続いていた人々の行列を連想させます。

嵐山渓谷にある与謝野晶子の歌碑の画像

                        嵐山渓谷にある与謝野晶子の歌碑

観光客で賑わう槻川橋下のバーベキュー場の画像

                      観光客で賑わう槻川橋下のバーベキュー場

  • 嵐山渓谷バーベキュー場への問い合わせ
  • 管理棟 電話:0493-62-4152
  • 一般社団法人嵐山町観光協会 電話:0493-81-4511

お問い合わせ

嵐山町役場(らんざんまち)企業支援課商工・観光担当

電話: 0493-62-0720

ファクス: 0493-62-0713

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