畠山重忠(はたけやましげただ)公
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源頼朝の信頼厚く、文武両道に優れ、誠実で思いやりのある人柄とも相まって武士の鑑とまで讃えられた人物です。現在の深谷市に位置する畠山の地で畠山重能の子として生まれました。家柄は秩父氏の嫡流で後に「武蔵国留守所総検校職」を世襲します。
当初平氏方であった重忠ですが、源平の合戦の中で源氏に味方します。その後、平家討伐や奥州藤原氏討伐軍の先陣を努めるなど、数々の武功を挙げました。ことに平家討伐時の一の谷の合戦では、谷底に陣を張る平家に対し、源義経率いる源氏軍は、急坂を駆け下りて奇襲をかけて勝利をおさめますが、このとき重忠は愛馬を不憫に思い、背負って下りたというエピソードが有名です。頼朝の京都上洛には先陣を務め、頼朝の死に際しては後事を託されています。また、音曲にも優れた才能を見せるなど、さまざまな面で幕府を支える重要な人物でした。しかし、頼朝亡き後、実権を握った北条氏には、力を持つ重忠は要注意人物であり、元久2年(1205)、北条氏に謀られ、謀反の罪を着せられて二俣川(横浜市)にて鎌倉の大軍と戦い、42年の生涯を閉じます。
畠山重忠公
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