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国指定史跡 菅谷館跡

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 源平の合戦や、その後の鎌倉時代に活躍した鎌倉時代の有力武士「畠山重忠」の館跡とされます。菅谷館については、鎌倉幕府の歴史書である『吾妻鏡』に畠山重忠が北条氏の策略によって命を落とす二俣川(横浜市)に向かう際、「男衾郡菅谷の館を出立する」という記事が見られます。しかし、現在見られる菅谷館跡の姿は300年後の戦国時代に築城された菅谷城であり、発掘調査でも当時の面影は見られません。

 昭和48年に国の史跡に指定され、平成20年には松山城・小倉城・杉山城と共に「比企城館跡群菅谷館跡」として名称が変更されています。

 都幾川の断崖に面した平城で、総面積は約13万平方メートル、東側と西側の外堀は自然の深い谷を利用し、都幾川に面した南側は断崖、その上に本郭が位置します。北側に二ノ郭、三ノ郭・西の郭がクモの巣の様に並ぶ輪郭式の縄張りとなっており、更に外側は自然の浸食谷によって何重にも守られています。また、虎口(郭の出入口)付近では、土塁と曲折によってくいちがいを設けるなどの防御の工夫がされています。



「続日本100名城」 平成29年4月6日選定

上空から見た菅谷館跡の写真

上空から見た菅谷館跡

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